09/09~09/10はすごい雨でした。市内や県内・県外を問わず,被害に遭われた方々,ご遺族の方々には心よりお見舞い申し上げます。私のところは,土砂崩れの被害にあわれた方がお亡くなりになった,その同じ町内ですが,特に被害はありませんでした。
しかし,本当にすごい雨で,私の職場には避難所が開設され,何人もの方々が避難してきました。あの夜,備蓄倉庫の鍵を開けるようにとの依頼を受け,あの雨のなか,川のような道路を "足をすくわれる" のではないかという不安と戦いながら駆けつけました。
道々,そして真夜中を過ぎて帰宅してから,考えたのは,この状態は,場合によっては我が家も避難しなければならなくなるかもということでした。でも,こんな雨と道路の状況では,逃げられないかもしれない。いや,水は大丈夫だろう。2階への "垂直避難" で済みそうだ。などと考えてしまいました。裏がすぐ山なので,土砂崩れもあるかも。ただ山側には 10m くらい平らな空きスペースがあるし,その上,平地の山よりの方は立木が林立,山すそ自体も比較的なだらかだから大丈夫だろう,とも。
実際,幸いにして,流されることも浸水することも,そして土砂崩れに巻きこまれることもありませんでした。
ところが,後になって,裏の山が(小さい規模ではありましたが)崩れていること分かりました。ゾッとしました。被害こそありませんでしたが,心配したとおりの土砂崩れが起きていたわけです。
何よりもショックだったのは,まさか本当に崩れることはあるまい,と,心のどこかで思っていた,ということでした。バイアスですね。決断にあたって,どうしても自分にとって都合のいい方へとバイアスがかかるのです。つまり,正しい判断と行動ができずに,災害に巻き込まれるかもしれないということです。私には家族が守れないかもしれない,ということです。
いつも,何もなくてよかったというわけにはいかないんだ。いつか,大変な災害が起きてしまったとき,やっぱり,逃げればよかった,ではダメだ。「(避難したけど)何もなくてよかったね」と考えるようにして,バイアスの影響を弱める方向で行動できるようにしておかなければ!と,密かに心にちかったのです……けど……
それにしても,こんなことがあるたびに,なんとなく思うのは,ほんとうに取り返しがつかなくならずに済んでいるのは,誰かに守られているからかもしれない,ということ。日本人だから,神様とか仏様とか思う前に,ご先祖とか,亡くなった父かも,とか思うんだけど。それとも,先祖がよほど生前よほど徳をつんでくれたのかも。私は,子や孫やもっと後の子孫までも守れるような徳を積んでいるのだろうか。なんて考えてしまうのは,もう若くないから(というより,もう歳だから),かな?
/* 右上の上図は,2015年9月9日の24時間の(1時間ごとの)降雨の様子。24時間の総雨量は347mmに達している。下図は,2015年9月10日の24時間の(1時間ごとの)降雨の様子。朝のうちに落ち着いてはいるが,それでも139mmを記録している。[いずれも albireo(ackobib)家に設置の雨量計の記録] */
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